サムソンの「お蔵出し」
群馬県競馬組合(高崎競馬)
金井達夫事務局長(当時)インタビュー

’02年8月18日、群馬県競馬組合応接室にて収録。



――本日は、ホンットーに無茶な企画(註1)を引き受けていただきまして、ありがとうございます。早速なんですが、事務局長就任までの経緯を――。

金井 んなこと言ったって、県庁の人事課から赤紙が来ただけの話なんだけどね(笑)。県庁には昭和51年4月採用。だから今、26年経ったところか――最初はねえ、衛生部の医務課ってところで、按摩・マッサージ・指圧師とかさ、鍼灸師、柔道整復師――それらの免許を担当してました。昔は県、つまり県知事の免許だったんですよ。
 衛生部医務課に3年居て、それから必ず一回は出向させられるんですよ。昭和54年の4月から、高崎市の合同庁舎の中にある高崎商工労働事務所ってとこに3年居て、そこで銀行から中小企業への貸付チェックの仕事をして、その後、57年4月から、総務部の地方課職員ということになって、1年間、前橋市役所に派遣されました。
 それで、前橋市の財政課から、58年4月に県庁に戻って総務部地方課、それから財政課に行って――財政畑が長いんですよね。ずっと居ました。だから、予算だとか決算だとか、そういうのを専門にやってきたんですよね……。
 それで、私が何故、昨年の4月から、この群馬県競馬組合に来たのかというと、段々と競馬事業も赤字が大きくなってきたんで、(県の上層部で)「あのヤローを送り込んで、少し赤字を圧縮するなり、儲け仕事なんだから、儲かるような――そういうのを考えてもらおう」ってなったんだと思うですよね。ただ、まあ……平成12年度、私が来る前の年が、13億1000万円の赤字、単年度でね。それを昨年度は私が来て、9億5000万円に(赤字を圧縮)したんですけど……まあ、3億6000万円は圧縮したけどさー、まだまだダメだねー。
 今年は25日競馬を開催(’02年8月18日現在)して、関係者への手当等を売り上げで賄えるかどうかの最低ライン――その最低限も賄えないなんて、(競馬を)やっていても意味が無いと思うんだけど――25日中12日は、それらの手当すら賄えない赤字です。もう限界点、うん、そう、限界点を突破しちゃったような売り上げの減少なんですよ。それで、赤字を圧縮するっつっと、皆さんは、スグ経費を切り詰めるってことを考えるけど、別に経費を切り詰めるだけが、能だと思ってないんで。で、残り13日は、いずれにしても、お釣りが来た、と。まあ、まったくの黒字じゃあないよねえ、我々の給与とか、従事員さんの賃金だとか、諸々の委託料とかは賄えないんだから。
 それで、その黒字の日の中身というのを探ってみると――坂東太郎賞(北関東G3)だとか群馬記念と(北関東G1&統一GIII)か――やはり、お客様が望んでいるのは、面白いレースなんだね。これをやれば、お客様が来て、少なくとも賞金諸手当は賄えるんですよ。そりゃあ、組合から出て行くお金も多くなりますけども、賞金を切り詰めていって、馬も出ていって、それでジリ貧になるよりは、そういう面白いレースを組んでいって、お客様の要望に応えていくっていうのも、商売のやり方としてはあるわけだから。
 とにかく財務畑が長かったから、数字には強いんですよ。この数字の裏にあるものが、一体何なのかを見抜くのは得意です。私はそういう訓練をされてきたからね。だけど、今のウチの職員には、どうも評判が悪くてねえ……(苦笑)。
 例えば、高崎競馬場の場合には、「第3コーナーで1着2着が分かっちゃう」なんて云われてますけど、それはねー、やはり番組の組み方の問題ですよ。ウチには番組編成課という部署に課長含めて3人の職員が居るんだけど、(事務局長が)私になってから「局長は『結果責任』ばかり云って(追求して)くる」と云われるけど、私に云わせれば「その通りじゃないか、おめェら『結果責任』だ」と。まだまだ改善の余地はありますよ。
 群馬県競馬組合には、今22人職員が居て、5人は県から派遣されてきているけど、残りの17人は、もう採用から組合のプロパー(生え抜き)なわけ。(彼らは)地方公務員ではあるけど、競馬以外の仕事を知らないんだよ。いわば境町トレセン(註2)の厩舎関係者同様に競馬で生計を立てていているわけ。それが、もし競馬が無くなったら、クビになって路頭に迷うんだよ。だから、今、一番真剣になるべきは、県から派遣されてきた人間じゃなくて、プロパー職員の筈だよ。ところが、今までウチのプロパー職員というのは、重要な場面ではノータッチで、上から「黙って自分の仕事さえしていれば良い」って教育受けてきちゃっているから――。だけど、そりゃあ、おかしいんじゃねえ?こんな潰れるか潰れないかって時に?
 高崎競馬場によく来て下さる皆さんは、ご存知かと思いますけど、私が(事務局長に)なってから、あのー、開門時とレース終了時に、正門のところで、必ずお客様に挨拶していますよね?あれについては、プロパー職員の中には反発の声もあるし、お客様の中にも「そんな暇あったら、仕事しろ!」って声もあるけども、明日またお客様に来てくれるかどうか分からない時にさ、出来ることというのは、まずは面白いレースを組むことだけど、それ以外に出来ることといったら、「明日もヨソへいかないで、高崎競馬場に来て下さいネ」と、せめて頭を下げることくらいでしょ?彼ら職員にも言い分はあるだろうけど、俺に云わせれば、「オレは公務員だ!」なんて、バカみたいにイキリ立って、ふんぞり返っているような奴なんか、要らねーんですよ、うちの競馬組合には。何が公務員だ?!フザけんじゃねえって!民間会社だったら、当然「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」っていうような世界さ。(駅西口の)高島屋や、そこの通りの群馬銀行の支店へ行ってみな、みーんな挨拶してくれるじゃねーか?!気持ち悪いくらいに(笑)。私の最終目標として、その精神が欲しいんですよ。それはまだ無いですね、残念ながら。私の力不足で申し訳無いけれども。

――ところで、事務局長は、ここの組合に来るまで、競馬に興味とかはありましたか?

金井 競馬場になんて一回も来たこと無い。競馬嫌いだもん(笑)。俺、高崎市民なんだけど、競馬場があると、午後4時半くらいになると、周辺の道は混んできちゃうし、みんなさあ、ハチマキしてさ、赤鉛筆を耳に挟んだオジサンがうろうろして、おっかなくてさ、とんでもねえとこだと思ってるから(笑)。
 だいたい、昨年(’01年)の3月に、(局長就任の)内示を受けた時、うちの家内にその事を話したら、家内に「アンタ、一体、何悪い事したんだ?」って云われたよ。要は左遷だと思っているわけさ。ここの市民一般としては、(競馬に関わるということは)そういう認識なのよ。

――・・・・(汗)。開催日は主にどういうお仕事をされているのですか?

金井 開催日はね、開催執務委員長として、委員長室に入って、何か事故や想定外のことが起きたりした時に色々と執務委員長室から時間調整などの指示を出したりするのが仕事です。基本的にずっと部屋の中だし、昼もそこで食べる。え、今日のメニュー?今日は吉野家の牛丼弁当(笑)。
 (開催執務)委員長をやっていて、一番印象に残っているのは、今年(02年)の1月27日かな。(前夜の雪の影響で)第2競走以降中止したってやつ。あれはね、責任転嫁するわけじゃないけど、天気予報では「午後から晴れる」って、言っていたもんだから、当日、朝の5時に来て、雪かきから何からして、開催決行することにしたんですけど、騎手会長(木村芳晃騎手)に「委員長は、乗り役(=騎手)を殺す気ですか?!」と云われた時にはね、私も「ああ、これ(開催決定の判断)はマズったなー」と思ったんですよ。それで結局中止。私の誤った判断が、全てを狂わせてしまった。完全に私の責任ですよね・・・・余談だけど、ウチではご存知のようにJRAの馬券も売っていて、それで担当係員が朝来るんだけど、その日も8時半に駅から、あのね、ここは駅から歩いてこれる距離だよ。それをタクシーで乗り付けてきてさ「それ(雪かき)も(手数料の)1%のうちですから」なんて云うんだよー、さすがにあれはちょっと頭に来たよねえ・・・・(苦笑)。それも含めて本当に印象に残ってます。

――非開催日は、どんなお仕事を?

金井 非開催日はね、お休みを頂くこともありますし、あとは、県庁での会議があるんですよ。この高崎競馬の問題というのは、県政の重要課題なんですよ。それで知事の方から、「競馬対策本部」というのを作ってもらって、そこへ月イチくらいで現況を説明に行っています。あとは、県内の民間の代表者で作られた「高崎競馬検討懇談会」にも私が出て行って、今のウチの状況、他の主催者の状況を説明しています。そして、後は皆様ご存知のように、他場の場外発売の時には、私も場外の担当者の一人として、ローテーションになりますけど、係員をしています。

――休日などは、どんなことをして過ごされているのですか?

金井 休日ねえ・・・・休日は半分寝て、半分は家の庭の草取り。とーにかく、草が伸びちゃってさあ(笑)。こんな調子だから、趣味なんてあるわけ無いでしょう(笑)。ゴルフ?ゴルフ、やりたいねえ〜(笑)。俺、今まで100切ったこと無いんだよね。ここで「打ちっ放し」やれば、儲かるかも知れないねえ〜。こうさあ、5番アイアンかなんかでさあ――(笑)。あんまり部屋にこもって本を読むのもあんまり好きじゃねえしねえ……。
 あ、そうそう、ここのパドックご覧のなりました?芝が良くなったでしょ?

――あ、ハイ。そういえば、なんかキレイになっていましたね。

金井 あれもねえ、何せ金が無いから、今年の6月ころだったかな、芝だけ買ってきて、職員総出で植えたんですよ。それでも、だいぶ良くなったよね。だから、ここにいて、暇になるとパドックの草取りしてんですよ、麦藁帽子かぶってね。いい運動になりますよ、あれ。

――家でも草取りして、職場でもまた、草取りですか?(笑)

金井 そ。要はパドックの周回部分の外側にも芝が無いと、砂がどんどん流れちゃうんだよ。だから芝を張って、(砂の)流失を防ぐという目的もあるんだけど、ついでに見栄えも良くしようって事でやったんですよ。それで、こないだお客様に「ずいぶん、キレイになったじゃねーか」って云われた時は、やっぱ嬉しかったやね。普通は業者に頼むと思うんだけどね、ウチにゃそんな金ねーもん(笑)。だから、原材料費だけ。で、あとは仕方ないから「局長対応」ということで(爆)。しかし、草むしりってのは、容易じゃないねえ。俺はさあ、腹がつっかえちゃうからさ(笑)、しょうがないから、パンダみたいに四つん這いになってやるんだよ。あれが一番楽でいいや。

――そ、そんなご自分で云いますか、パンダだなんて?!(笑)

金井 草むしりやってっと、草というのも生きているんだねえ、命があるんだよなあ、と思うよ。ほっとくとスグ伸びちゃう。・・・・あの芝はね、良いですよ。ただね、今、植えてあるのは高麗芝だから、冬場枯れちゃうんですよ。だからね、西洋芝の種を蒔こうかな、と思っているんですよ。だって、(枯れた芝に)グリーンのペンキで色を付けるのもおかしいしね。自画自賛になるけど、まあ、ぜひ、高崎競馬場にお越しの折には、パドックをご覧になって頂きたいな、と(爆)。
 それから、現在は開催中も内馬場を整備して公園として、開放しているし、開催日以外もね、朝の4時から夕方の7時まで門を開放して、内馬場を自由に使ってくれって事にしているの。それと今、近くに乗馬クラブの馬が、月に一回くらい、コースを走りに来るんですよ。これ(馬場の利用)は県内の乗馬クラブどこでも良いですよ。利用料は無料ですから。金を取れるほどの施設じゃないし(笑)。
 だいたい、ここは新幹線も止まる駅から徒歩15分の一等地にあるわけですよ。そんな競馬場、今どこ探したって無いですよ。これだけの広さがあれば、避難場所にもなるし、色々出来る訳ですよ。これはね、周辺の住民や市民の皆さんにも認識してもらわないと。この際、競馬は認識してもらえなくてもいいからさ。
 それから、この競馬場の周辺には、民間からお借りしている土地もあって、その賃貸料だけで、年間8000万円をお支払いしているんですよ。それがだよ、今までは刑務所みたいに塀を高くしちゃって、中で何をやっているか分からないようにしちゃっていた訳じゃない。競馬を開催していない日は、お客を一人も入れないと。 それが一番ラクなんだよ。事故はまず起きないし、管理もしやすいし――でも、それじゃダメなんだよね。それで事故が起きたら、どうするんだ?!って話になるけど、それはそのとき考えれば良いがねー(笑)。

――ところで、3月に開催された「ぐん馬ホースフェスティバル」のようなイベントは、また行う予定はあるのですか?

金井 ありません(キッパリ)。だから、ウチ(=競馬組合)にはお金がないんだって(笑)。その代わり、この秋は幼稚園児の皆さんを呼んで、内馬場で芋掘り大会をやる予定です。

――最近、あちこちで協賛競走がブームになっていますが、その実質的な火付け役となった高崎競馬の主催者としての感想は?

金井 うちは、まだまだだよー。上山競馬なんて凄いじゃない。個人名がレースに付けられるんだよ。ウチでもあれをやろうと思っているんだけどさ……(註3)。
 そうそう、ウチでは毎週火曜日に上山の場外発売もさせていただいていて、モニターで観戦することもあるんだけど、あの本馬場入場の行進曲、良いねえ、好きですよ。今度、上山の関係者に会ったら言っておいてよ。他にもまだまだヨソから見習うべき点は沢山あると思うよ。
 それから、ウチでも遅蒔きながら馬単を導入します。悪くても大晦日の高崎大賞典には、間に合わせます。新潟の大井場外が、10月から発売に電話回線を使うことになった関係で、元々使っていたコンピュータが安く調達できたので(笑)。それに新潟県競馬が廃止になった関係で、冬季の出張馬房が空いているんですよ。それを利用して、上山など冬季に休催する競馬場と交流競走が組めたらな、ということも考えています(註4)ファンの皆さんも、ウチに対して何か良いアイデアがあったら、矢部ちゃん(当時・企画広報課係長。現・境町トレセン担当課長――註5)に、どんどん言ってやって下さいよ。だいたい群馬県民の県民性ってのはさあ・・・・「進取性に富むが、飽きっぽい」ってんだけど・・・・あ、ちょっとテープ止めて待ってて。今、資料持ってくるから――

――あ、あの・・
・・。
(以降「上毛カルタ」他、非常に高濃度な群馬県絡みのトークが続く・・・・)


註1・これはなんと同人誌(=’02年9月23日に行われたWe love たかさき day2との併催イベントである「競馬同人誌まつり」プログラム)向けの取材だったのです(汗)
註2・群馬県佐波郡境町にある。高崎所属馬は、全てここで普段の調教がされている。
註3・年明けから高崎でも個人名OKとなりました。
註4・まず今年10月12日の高崎記念が、東日本交流戦に。そして、来年1月の新春杯は、北日本+金沢交流で実施予定。
註5・当時の局長共に、高崎競馬における一連の「暴走路線」のきっかけを作り、なおかつ加速させていた人。NARの機関誌でもある「ハロン」にもレース回顧を書いていたこともある。ここだけの話、We love たかさき dayというイベントは、この人の大ボケ(検閲以下略)。4月に課長昇進するとともに境町トレセンの担当に。ちなみに今の広報担当は、宝船(ほうせん)主幹。


後日談というか……
 その後、今年4月の定期人事で、県庁総務部財政課長に栄転(なんだろうな、一般論的には……)されてしまったわけですけど(この県庁人事の記事が、上毛新聞に出た時は、一県の課長人事にも関わらず、某巨大掲示板でもちょっとした騒動となり、果ては「(高崎競馬廃止への)陰謀説」まで飛び交っていた……)、ここのところ、ちょくちょくお会いして、高崎競馬存続の為に、一緒に色々と悪企み(おい!)を展開しているところです。
 時折見せる鋭い眼光は、さながら「妖刀」の如く。一説によると切れ者過ぎて、競馬組合に2年間島流しにされた――という説もあるくらいでして……。上司にするのも大変でしょうけど、部下にしたらもっと大変という感じがしますね(笑)。