決断

 あの「自由の丘」での激闘から、早二週間が経過しようとしていた。
 だが、ルージ・ファミロンの帰郷は未だ叶わぬままであった。
 ジーン討伐軍の中心人物として、戦いの事後処理に追われていたのである。



 トラフに戻るや否や、ルージ・ファミロンは実に一週間近くもの間、食事やトイレの時間(正確には風呂の時間もあった。正確には)以外は、ひたすら眠りつづけた。
 戦いから解放されたことで、心身の疲労が一気に出たのは明白であった。
 睡眠を貪るだけ貪って、6日目の眼を覚ました時点で、さっさと帰郷すれば良かったのかも知れないが、それが出来ないのが、ある者からは「救世の英雄」と称えられ、またある者からは「青い死神」と恐れられる彼――ルージ・ファミロンのルージ・ファミロンたる所以なのである。



「なんだ、ルージ、体力が回復したのならば、すぐにでも故郷に帰る支度をした方が良いのではないか?」

 何か手伝えることはないか、と臨時の執務室に現れたルージに対し、その身を気遣うラ・カンではあるが、実情としては、ルージにやってもらわなくてはならないこと、もっといえばルージでなければできない仕事が山積しており、申し出を断れる状況ではなかったのである。
 聞けば、討伐軍に加わった者達は、一様に任務解除等の文書を欲しており、しかもそこにどうしてもルージ・ファミロンの署名が入ったものが欲しい、と云う。
 元々ゲリラ的な組織形態であったジーン討伐軍には、メモのようなもので持ち場や作戦を指令することはあっても、正式な命令書といったものは殆ど存在していなかった。

 このような要望を出た背景には、特に反ディガルドの旗の下に結集していた面々にとって、自らが戦いに加わっていた証を欲したのに他ならない。それもどうせもらうのならば、「英雄」であるルージ・ファミロンの名が入っているものが欲しい。これを持って帰郷出来ればハクもつくであろうし、文書そのものも後々家宝になろう。
 大して金が出るわけでもない、それならば代わりのものを――といったところであろうか。
 
 かくして、その日の午後から、ルージは、戦中同様に多忙を極めることになった。
 とにかく、目の前に積み上げられた書類や文書の山、山、山……。
 これに黙々と署名をするルージ。しかも準備良く、セイジュウロウ・作による自分用の印までもが用意されていたことについては苦笑せざるを得なかったのだが。
 こういった心憎いまでの演出が出来るところを見ると、この弟子にしてこの師匠あり、であろう。

 ラ・カン、ボラー指令、ルージの順で流れで署名・捺印の作業は続く、但し捺印については、それぞれに係がついており、三人はひたすら筆を動かす。
 余談になるが、印の意匠については、セイジュウロウが考案・製作を担当、ソウタがデザインを担当している。ラ・カンはキダ藩主の証である剣と藩を支えてきた主要産業を示す織機、ボラーは牡丹とサーベル、ルージは波うち際に立つ獅子と二本の刀が意匠として組み込まれている。
 セイジュウロウという人物、討伐軍旗のデザイン以来、アーティスティックな面に目覚めたのか、あるいは元々そういったセンスを持っていたのか、とにもかくにも剣だけではなく、こういったセンスも、師から学び取らねば――とルージは思う。

「それにしても、これほどの書類を相手にしたことは、かつてなかったな……」

「ザイリン君も、どこへ行っても別に構わないのだが、せめてこの戦後処理の端緒が付いてからにして欲しかったものだな」

「セイジュウロウさんって、ホント器用だなぁ……」

 誰に聞かせるわけでもなく三人が三人、苦笑し、つぶやきながら単純作業を繰り返す。
 特にルージは、ここまで五日分以上の書類が溜まっているだけにかなりの勢いで書かねばならなかったのだが――
「ルージ、焦るな、とはいわないが、丁寧に書いてやれ。彼らにとっては、我々などよりも、お前の名が入っていることの方が、遥かに大事なのだからな」



 任務解除の命令書や調達した物資に対する対価支払い等の事務的な書類(「数字の羅列から、その向こう側が見えてくるようですね」というルージの発言には、周囲の人間は舌を巻き、またある者は、その話を聞いて背筋が凍る思いをしたのは、また別の話……)はまだ良かった。

 だが、これまでの戦いで犠牲になった者達の死亡通知や行方不明通知へ署名する場面になると、ルージは胸が締め付けられるような思いに駆られた。時に眼から涙がこぼれそうになるのを必死にこらえ、筆が止まるのもしばしばであった。
 それでも、これで少しでも付いてきてくれた人たちの喜び、あるいは遺族への慰めに繋がるのならば――という使命感が、彼を奮い立たせていた。



「あら、どうしたのルージ?」

 夕食を共にしていたコトナ・エレガンス(実はルージが来るタイミングを見計らっていたらしい)は、僅かな異変を見逃さなかった。

「いえ、あの別に何も……」

「何もないわけないでしょう?」

 そう云うコトナの表情は少し厳しい。
 さらに同席していたガラガ(実はコトナが来るタイミングを見計らっていたらしい)が二の矢を放つ。

「右利きのお前が、左手でスプーンを使っているんだから、そりゃあ、気にはなるだろ?!」

 粗野なようでいて、案外と細かいところまで目が届くのが、雷鳴のガラガという男なのである。

「ここ数日、セイジュウロウと稽古はしていないようだし、何かの手伝いをしていて右手首でも痛めたってとこね。まったくキミって奴は、目を離すと、すぐムリをするんだから」

 そう云って、コトナはぷっと頬を少し膨らませ、ルージをじっと見つめる。
 それは彼女が時折見せる悪戯じみた色仕掛けではなく、まるで弟を気遣う姉のようなものだった。

「ええ……っと、あ……」

(あぁ、こういう時のコトナさんには、かなわないな……)

 とルージは、心底思う。

「人が良いのもほどほどにしないと――」

 といって、ふうっ、っと大きなタメイキまでつかれた日には、反論が出来ないし、本当に心に堪える。
 もし、ここにレ・ミィが居たならば、ここで舌鋒鋭く、猛攻を浴びせてくる場面であろう。彼女も彼女で忙しいらしく、同席できなかったのが、ここでは幸いした。
 しかし、ルージにとっては、ミィに怒鳴られる方が、気が楽だと感じる瞬間があるのも事実である。

 つまり、コトナとしても、そういう振る舞いをした方が、ルージにとっては、より心が堪え、より心に響くことを、経験則として分かっているのである。いわゆる「男を操縦する」術に関しては、レ・ミィより一日の長がある。その能力に関しては、レ・ミィは勿論のこと、異性であるはずのロン・マンガン、灼熱のティ・ゼ、元は敵軍の指令であるボラーらをも嫉妬させているのだ。

「それにしてもルージよ、お前、右手が使えなかったら、夜はどうするんだよ?」

「え、夜って?夜は本を読むだけで右手は使うことは無いと思うんだけど?」

 何者かに襲撃され、後頭部に大ダメージを負った挙げ句、す巻きにされた巨躯の男が、トラフの北門前で発見されたのは、翌明け方のことである。
 しかし、勝負師あるいは一種の侠客としては、ラ・カンらも一目をおいているはずの男が、どうしてこう不用意な言動や行動をとり、自らを死地においやってしまうのか?この現象に関しては、後々まで、ジーン討伐軍内における七不思議の一つとして語られていくことになる。

「とにかく、ルージは、ムリをしないこと!――その前に、お風呂から上がったら、手首を診てあげるから。ねっ」

「は、はい!」

 どうして、この女性の前になると、こんなに照れてしまうのだろう?
 それでいて、スグに従ってしまう自分もいる。
 そんなに優しくされたら、恍惚としてしまう。
 
 ルージは、ただただ赤面するしかなかった。

 それを見ていたガラガ、チャンスと見たか――

 「コ、コトナ、実はオレも左肩が――」

 「ストレッチが足りないんじゃない?」

 今日もまた撃沈――。



 さて、翌朝からはというもの――
 起床→早朝稽古→朝食→仕事→昼食→仕事→夕食→仕事→入浴→勉強→就寝
 ――とまあ、実に規則正しい生活を繰り返し、6日目の午後ともなると、あれだけあった書類の山も少しづつではあるが、その恐るべき姿を消しつつあった。
 レ・ミィが淹れてくれた少々濃い目の茶をすすりながら、窓の外を眺め、物思いにふけるルージ。
 もうすぐ14歳になるとはいえ、当然のように稚気の残る部分もある。
 が、その横顔のどこかに凄味や風格を感じさせるのは、決して気のせいではないのだろう。
 
 もし、この少年が更なる成長を遂げ、その気になったならば、この地上の覇権をも手にすることも可能なのではないか、そう思わせる何かをラ・カンとボラーは感じざるを得ない。
 もっとも、彼は、そんなことを望んではない。
 一応、「少なくとも現時点では」という注釈も必要かも知れない。
 人は時ともに変わるのだ。
 それでも彼は、これから先においても、そんなことには執着はしないであろう。
 それは願望であるかも知れない。が、彼らには、そう思えた。
 どちらにしても、これから先、英雄であるルージ・ファミロンという名の存在を様々な場面、特に政治的に利用しようとする人間は続々と現れるであろう。
 現に、キダ藩家臣団の中でも、水面下で色々な動きが出始めている。不穏といったレベルではない。が、必ずしも歓迎すべき状況ではない、と思う。
 とはいえ、もし彼が側にいてくれたら――というのもラ・カンの率直な思いなのである。



「どうした、ルージ、疲れたのか?」

「い、いえ」

「まあ、無理も無いな、ここのところ昼間は、この部屋にこもりきりで相当疲れが溜まっているようだしな。私だって正直、肩が張ってきて仕方がない。私もセイジュウロウに湿布を調合してもらおうか?」

 ルージの右の手首には、テーピングを兼ねた包帯が、セイジュウロウが処方し、それに基づきコトナが調合した特製の湿布と共に巻かれている。勿論、愛情たっぷりのマッサージもその前に施されている(但し、あくまで実用本位のそれで、ルージはかなり泣きを入れた模様)。
 
「ええ、それが良いかも知れませんね。セイジュウロウさんも元々知識はあったみたいですけど、最近、一段と薬草の調合に凝りだしたみたいですね」

 無口ではあるが、なんだかんだで、弟子思いの師匠なのである。
 そして、知識の習得に熱心という意味においては、この師弟、似ている部分も多い。

 ルージとセイジュウロウが巡りあって、師弟関係となったのは、或いは運命だったのかも知れぬ――。
 
 否、それ以上に、この地上でそうは滅多に会うことの無い有能な面々が短期間のうちに集った、という奇跡の実現が、(自分自身、決して運命論者ではないが……)と思いながらも、、ラ・カンは運命というものを感じずにはいられなくしていた。

 この師弟の関係について詳しく触れると、ある女性が際限なく語り始めそうなので、このくらいで留めておくが。

「しかし、何があっても健康が一番、ということか」

 思わず、つぶやくラ・カン、同時に「医者の不養生」という言葉も頭に浮かんだようだ。
 ボラーも口には出さないが、同様の感想を持っているようだ。
 この二人も人生の折り返し地点はとうに過ぎた。

「さ、まだまだ片付けなきゃいけない仕事がありますからね。これが終わらないことには、ミロード村に帰れませんから――」

 ルージは、一度思い切り伸びをすると、再び座して、書類への署名作業を始めた。



 ボラーは、自由の丘の戦いが終わってからというもの、ルージは勿論のこと、その周囲にいる人物に対して興味深々なのである。
 武芸やゾイドを操ること以外にも才人ぶりを発揮しているセイジュウロウもそうだが、それ以上に感心を引いているのは、レインボージャークを操っていた少女のことである。
 ジーン討伐軍の一番の功労者は、間違いなくルージ・ファミロンである。
 それは衆目の一致するところであろう。
 だが、その陰に隠れてしまいがちだが、コトナ・エレガンスの献身的な活躍が、絶対的な不利を覆して討伐軍に勝利をもたらした最大級の要因であることもまた、間違いのない事実なのである。
 極端な話、彼女の存在なくしては、今日のルージ・ファミロンがあったかどうか――?

 ボラーが驚いたのは、後にレインボージャークを操っていたコトナの若さや能力だけではない。
 とにかく、ルージを徹底的に信頼して手駒に徹していたことである。もし、彼女が例え存在していたとしても、フェルミような性格の人物であったならば、戦局が逆転することなく、世界はジーンの手に落ちていたことであろう。

 それにしても――である。

 何故、彼女はそこまで出来たのか?

 このボラーの疑問に対し、コトナは
「だって、ルージがチャーミングだったから――」
 と笑って、はぐらかしていたのだが……。
 ルージ・ファミロンには人をひきつけて止まない何かがあり、その何かが彼女の心を動かしたことは、想像に難くない。
 現に愛弟子であるザイリン・ド=ザルツを見れば、よく分かる。ただ、あれはあれで、どうなのか?というのも、正直な感想だったりするのだが。
 ひょっとしたら、ルージとコトナの間には強固な信頼関係というよりは、二人の間で何人も立ち入ることの出来ない領域――それを恋愛感情と断定するには、現時点を以って多少の躊躇はある――が自然のうちに出来上がっているのかも知れない。

 ある時は、お互いのことを思いやり合う本当に仲の良い姉弟のように、またある時は、冷静沈着、タフな精神性を持った若き天才指揮官と、的確な助言を与えつつ作戦を忠実に実行に移す優秀な参謀のような関係は、年長者から見れば、時に微笑ましく、時に壮絶なまでの痛々しさを垣間見せているように思えた。

 要するにコトナ・エレガンスは、ルージ・ファミロンを、それだけ惚れぬいているのであろう。
 最早、そうとしか表現しようがないのである。



 日がたつにつれ、ルージが自由に使える時間は、徐々に増えていた。
 ヒマを持て余したガラガやロン、あるいはア・カンから遊びの誘いを受けたりもするのだが、ルージにはなおもやるべき事があった。
 ソラから持ち出した膨大な書物から、ジェネレータに関するものを抜き出して読み解かなければならないのだ。
 が、この数日の分析から、彼はある結論に達しつつあった。
 理論に間違いが無ければ、この方法で、ほぼ確実に村のジェネレータは復旧するだろう。
 それでも彼が逡巡してしまうには、その方法論にあった。

 できるだけ早く決断し、実行しなければならないのは、分かっている。
 しかし、まだ他に方法は、あるのではないか?!

 だが、現状の自分の能力を考えれば、更なる最善策を見つけ出すのには、なお膨大な時間がかかるのは明白であった。
 人は何かを得るためには、何かを失わなくてはならない――とは云うが、その失うものの大きさを思った時、人は苦悩を極める。

 現状を考えれば、やっぱり、これしかないのか――。

 タメイキを一つつくと、首を横に振りながら、苦笑するルージ。
 彼自身、気が付いていないのかも知れないが、意外にニヒリストなのである。
 これが幼い頃から形成されたルージ・ファミロンの一要素であり、そこがまた特に年上の女性をひきつけてやまないのである。



 その夜遅く、ルージが一人、格納庫に入っていく彼の姿を複数の人物が目撃したという。



 それから2日後、漸くルージは、長い長い「サイン会」から解放された。

「よくがんばったな、ルージ」

「ええ、これで戦後処理の第一歩のお手伝いは出来ましたし、これでミロード村に帰ることができます」

「悪かったな、ここまで付き合わせてしまって」

「ここまでオレの判断で、みんなに色々な犠牲を強いていたわけですから、せめてこれくらいは責任を果たさないと。後ろ髪を引かれる思いはありますけど」

「後ろ髪引かれる――か、ルージらしい表現だな。で、ルージよ、ジェネレーター修理のメドは立っているのか?」

「ええ、色々考えた結果、ムラサメライガーを埋め込むことにしました」

 あまりにさらっと重大な発言をしたため、一瞬間が出来た。

「えええ?!」

 ボラーとラ・カンは図らずも同時に声を上げた。

「しかし、それでは――」

「取り敢えず、です。ソラの書物で勉強して修理の方法を見つけ出すまで、まだまだ時間がかかりますし、それを待っていたら、村が本当に誰も住めないくらいに荒れ果ててしまいますから」



「そう、帰るの……」

 レ・ミィの部屋には、午後の日差しが優しく入り込んでいた。
 彼女が「執務室」に使っているのは、トラフの城の中でも最も美しい場所といわれている部屋である。
 調度品も華美ではないが、凝ったつくりのものが多い。元々要衝として栄えてきた街だから、方々から良品や技術から入ってくるのだろう。
 以前、入城の折り、この部屋に入るや否や、「この部屋は私が使う!」と早々に宣言して以来、完全に自分の部屋にしているのである。

「ハラヤードで疎開した皆も待っているしね」

「そうね、ま、アンタには、田舎暮らしの方がお似合いでしょうからね」

「ハハハ、ミィはキツいなあ……」

「少しは反論しなさいよ!」

「せめて、もう少し、戦後処理が進むまでとは思っていたんだけど」

「アンタに心配されるほど、おじさまやキダ藩は堕ちてないわよっ!」

「……ミィもこれからが大変だね」

「そうね、おじ様の足手まといにならないようにしないと、ね」

「ミィなら大丈夫だよ、きっと」

「それより、アンタ、いいの?ムラサメライガーに乗れなくなったら――」

「だから、取り敢えずの応急処置みたいなものだよ」

 さっきまでアツくなっていたかと思えば、少し曇った表情を見せるレ・ミィだが、それを制するように、ルージはサバサバとした面持ちで語る。
 それがまた、レ・ミィにとっては、自分でも理由は今一つ分からないが、この状況は少々面白くなかったりする……。

「でも――」

「いいじゃないか、元々ゾイドには乗れなかったわけだし」

「ゾイドに乗れないんじゃ、移動もままならないでしょ?!」

「当分は、村の再興と、勉強で忙しいし……。そのうちジェネレーターを完全に修理する方法を見つければ、またムラサメライガーで自由に、この大地を駆けることも出来るよ」

「早く方法を見つけなさいよね。次に会う時は、二人ともヨボヨボなんて、あたしはイヤよ!」

「わ、わかっているよ。それに自分がゾイドに乗れなくても、いつだってミィには会いに行けるよ」

「それはそうだけど……。で、出発はいつなの?」

「みんなに挨拶しなきゃいけないし、明後日の朝にするよ」

「さすがにアンタみたいなのでもいなくなると、さびしくなるわね……」

「ミィの周りには、みんながいるんだから、オレがいなくなっても、そうはさびしくはないと思うけどな?」

 あくまでも勝気な部分を前面に出すレ・ミィだが、少年ルージが、その心の奥にある部分を悟ることが出来るまでに成長するには、今少し時間が必要だったようだ。
 
(バカ……)



 その明後日というのは、本当にあっと言う間に来てしまった。
 いよいよ出発の朝である。

「ルージ、これ……」
 ミィがルージに、そっと袋を手渡す。巾着風の袋に髪飾りと同じハッパの紋章が縫い付けられているのは、ご愛嬌か?中身はなんだかんだで結構重い。

「え、何?」

「アンタの弟へのお土産よ。聞けば、アンタが村を出たっきりなかなか帰らないわ、年上のお姉さんとイチャイチャしているわで虐められていたそうじゃない。私からのせめてもの感謝の気持ち、ってところかしら」

 審議するまでもなく、二つ目の理由は、ミィの創作である。

「姫様、それだけですか?」
 
 周りの家臣達がけしかける。が、いかんせん、いまひとつレ・ミィの性格を捕らえきれていない面々である。
 そうなると、意固地になってしまうのに。

「な、なによ」

 照れるレ・ミィ。こうなると、次に出てくるのは、気持ちとは裏腹の憎まれ口なのであるが、その機先を制するかのように、ルージが声をかける。

「ミィも元気でね」

「私のこと、忘れないでよ!」

「忘れるわけないじゃないか!」

「それから、ほら、お弁当。お昼に食べて」

 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、しずしずとミィ様特製弁当の包みを手渡す。

「ありがとう」

「また、会えるよね?」

「うん、また会えるさ」

「達者でな、兄弟。オレは――コトナと幸せに暮らす」

「ガラガも元気で」

「キミなら、出来るさ」

「ロン、今度、会った時は、色々と教えて欲しい。オレもまだまだ知らないことが多すぎる」

「ああ、キミならいつでも大歓迎だよ」

「ルージ、これからも精進して、また私の前に帰って来い。その時は、また鍛えてやるから覚悟をしておけ」

「はい、セイジュウロウさんもくれぐれもお体には気をつけて」

 さよならだけが人生だ、なんて言葉はあるけれど、ルージの眼からは、涙があふれ出てきそうだ。
 そして、ルージの出発を聞きつけて、多くの人々が集まってきていた。

「ルージ、無敵団はいつでもお前を待ってるぜ」

「次に会った時は、もっともっと料理の腕を挙げておきますからね」

「お前さんと次に会う時は、ライバルとしてかな」

「ルージ、ミィのことは僕に任せて!」

「こら小僧、なんという大口を!」

「みんな……みんな本当にありがとう!お元気で!」

 それだけ言うと、こぼれ落ちそうな涙を見られたくないのか、ルージはくるりと後ろを向いて、ムラサメライガーの方へ駆け出した。
 と、その時――

「ルーーージィィィ」

 声のする方向を見ると、ムラサメライガーのコックピットの中に旅支度をしたコトナの姿が――。

「コ、コトナさん?どうして、そこに?」

「約束してたでしょう?キミとの旅に付き合うって!」

「でも、だってもう、ジェネレーターを修理する方法については……」

「でも、職人はまだ見つかっていないわけでしょう?」

「だけど」

「いいから、いいから、細かい話は後にして、ホラ、早く!」

「ああああああああああああああ!!!」

 あまりの展開に、声にならない声を上げる見送り一同。

「どうりで姿が見えないと思ったら、なかなかやるなあ……」
 
 ふっと、呆れたような感心したような笑みを浮かべるロン・マンガンだが、もはや冷静さを完全に失った人間が何人かちらほらと。

「ちょっと待て、聞いてないぞ、コトナアアアアアアアア!!」

「アンタに聞かせる理由は無い!」

 相変わらず、ガラガには鬼のように厳しいコトナ。

「ルージ殿、帰る前に、事情を聞かせてもらえませんでしょうか?」

 と言いながら、ルージの肩を掴むダ・ジン。その顔には(姫というものがありながら――)と書いてある。

「えええええ?!」

「そうね、できれば、色ボケしたアンタの身体に直接聞きたいわね」

 ミィは怒っている。
 そこはかとなく怒っている。
 今、捕まったら、恐らく命は無い。

「ルゥゥゥジイイイイイ、オレのコトナをよくもおおお」

 そして、ここにも獣が……。
 まさに前門の虎、後門の狼である。

 ルージは、逃げた。
 何がなんだか、自分でも状況がよく把握できていないのだが、身の危険を回避するには、逃げるしかなかった。
 文字通り脱兎の如く駆け出し、ムラサメライガーのコックピットに乗り込むと、急発進して、トラフを去っていくのが精一杯だった。

 これをきっかけにして、この後、実に数年に渡り、レ・ミィ及びキダ藩とコトナ・エレガンス、さらに多くの人間を巻き込んで、ルージ・ファミロンを巡る抗争が続いたのは、云うまでも無い。



「さ、ルージ、旅の再開よ!」

 それだけ云うと、狭いコックピットの中で、コトナは後ろからルージを抱きしめた。

「あ、あの、ちょっと……ええと、あの……胸、当たっているんですけど……」

「あら、そう?コックピット狭いもんね」

 そう云うコトナの顔は、「何か不都合なことでもある?」と云いたげである。

「……」

 ルージもこの状況下となっては、さすがに観念したようだ。

「じゃ、まずはアイアンロックに向かいます」

「え、どうして?」

「妹さんと仲直りしてもらいます。さもなければ、コトナさんを連れて行くわけにはいきません。コトナさんはどうでも良いかも知れないけど、オレとしても気持ちをスッキリさせたいし……」

「まったく、キミって奴は……。ま、ルージがそういうなら仕方が無いわね」

 それだけいうと、コトナはルージにますます身体を密着させた。
 ルージの心臓は飛び出さんばかりに心拍数を上げているが、そんなのお構い無しだ。
 これから、どれくらい長い付き合いになるのかは分からない。
 だけど、行動を共にするのなら、これくらい慣れてもらわなきゃ困るのだから。

(そう、コトナ・エレガンスは、時に人を戦慄させるほどに凄まじく鋭い才能を持っていて、そのくせちょっとこっちが色目を使うと照れちゃって、可愛らしくて、繊細で、なんだか生き方が不器用で……そんなルージが大好きなんだ)

「よーし、飛ばしますよー」

「うんっ!」



―了―

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