Sandstorm
相手を見るのではない、感じるんだ――。
全ての感覚を研ぎ澄ませ――。
夕暮れ時の砂浜。
少年は刀代わりの木の棒を持ち正眼に構える。
相手に仕掛けのタイミングを悟らせまいと、剣先を微妙に震わせる。
それくらいで動じるような相手でないことは分かっている。
後の先なんて取らせてくれないだろう。
ならば、初太刀で仕留めるか、あるいは相当なダメージを与えないと勝ち目は無い。
ヘソの下を意識をして、腹式呼吸を繰り返す。
一瞬、自分と空気の流れが一体になったような気がした。
少年は、すばやく自分の間合いに飛び込むと、ごくごく自然な動きで剣先を釣り上げ、次の瞬間には、頭部に強烈な一撃を見舞った――ハズだった……。
いけない――。
頚動脈への手刀は、ヒジでなんとか防いだ。その流れで横一文字に二太刀目を繰り出そうとしたものの、次の瞬間には、得物を叩き落とされると、さらに手首を取られ少年は宙を舞っていた。
そして、地面へ叩きつけられるや否や、立ち上ろうとしてガラ空きとなった少年の後頭部に容赦の無い蹴りが襲う。
痛みと共に、周囲の風景が歪む。
なんとか立ち上がって反撃しなきゃ――。
だが、その芽を摘むかのように、少年の首には、腕がそれこそ蛇のように絡み付き、一気に気管を締め上げる。
その非情なまでの攻撃を前にしては、成す術は無い。
もはや、これまで――か……。
一気にブラックアウトしていく視界。その寸前、彼は解放された。
「グハァ!ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!!」
激しく咳き込む少年を前に、非情なる敵は、あくまで冷静に言い放った。
「ルージ、今日もキミ、軽ーく5回は死んでいるわよ」
コトナ・エレガンスが、いわゆる「代師匠」としてルージの稽古をつけるようになってからというもの、その鍛錬は一段と激しく厳しいものと化していた。
「鬼とかそういうレヴェルじゃなくて、本当にコトナさんに殺されるんじゃないか、と思ったことさえあった」と、後にルージが、そう述懐するくらいだから、その凄まじさたるや推して知るべし、である。
もっとも幼少の頃から、人の域を越えた修練を積んできたコトナにとっては、曰く「夕食の前に軽くジャレている」程度に過ぎないのだが、端から見ていると、ただただルージがいたぶられているようにしか見えない。
あまりそういったものに免疫の無い村人達にとってみれば、それはもう、一種の倒錯の世界が展開されていると思って良いだろう。
ある時、その光景をたまたま物陰から垣間見てしまったルージの弟・ファージに至っては、これによりコトナに対する恐怖感がしっかりと植え付けられてしまい、そのトラウマが後の彼に人生に、ちょっとした影を落とすことになるのだが、これはまた別の話。
ルージは帰郷前から、師匠・セイジュウロウの助言もあって、剣術と共に護身用に体術の稽古も始めていた。
しかし、こと徒手での格闘戦となると、元々センスのあるルージといえど、コトナにはかなわない。それはもう哀しいくらい圧倒的なのだ。現に、今、ハンデとして与えられた得物を持っていてもルージは、あっという間に倒されてしまったのである(余談になるが、コトナくらいのレヴェルに達すると、相手が得物を持っていた場合、動きが比較的限定されることもあり、むしろ戦いを有利に運ぶことができる、とも云われている)。これが実戦であったならば、確実に命を奪われていたことであろう。
確かにルージは、村を破滅の危機から救いたい――という強烈なモチベーションが後押ししていたとはいえ、僅かな期間で相当な実力をつけたくらいだから、先天的な能力、センスといったものには恵まれているのだろう。
それでも、幼少の頃から、人の域を遥かに超えた業を積み重ねて来たコトナから見れば、やっと最低限のレヴェルにたどり着いたかどうか、といったところである。だが、必要とあらば常に努力を惜しまない彼の姿勢は、コトナは贔屓目を入れつつも内心では賞賛を惜しまず、その姿には尊さすら感じているのだ。
(とても自分には真似できない)
と、いつもながら、コトナは思う。
時折、「ルージの趣味は、『努力』よね?!」などと、軽くからかったりするのは、ルージへの隠し切れない愛情と、一種の畏敬の念の裏返しなのだ。
ただ、彼――ルージ・ファミロンは、優し過ぎるのである。
それは甘さとも弱さとも表現される。
それに対して、レ・ミィが時折見せる獰猛な性格は、まさに格闘の申し子といった感じすら漂う。「恐怖の丸焼き料理人」の異名はダテではない。ひょっとしたら、数年の後には、まだコトナには及ばないにしても、この地上において屈指の格闘家に成長しているかも知れない。
そんなミィと比べてしまうと、ルージは……。
「私、そろそろ夕飯の支度を手伝わなきゃいけないから、今日は、ここまでにしよっか?」
「は、はい。あ、ありが、とう、ござい、ました……」
ルージがボロ雑巾のようになりながらも何とか立ち上がる。立っているのもやっとだったりするのだが、失神して気が付いてみれば、膝枕の上だった――なんてことはたびたびである。それはまだ良いとして、うっかり倒れたままでいようものなら何を思うのかコトナは、いわゆる「お姫様抱っこ」をして家まで運ぼうとするのである。
彼女にしてみれば、ひっくり返っているルージをほっぽり出して自分だけ家に戻るわけにもいかないという理由もあるにはあるのだが、そこに若干のイタズラ心が含まれていることに、ルージは反発を隠せない。いくら、親愛なるコトナさんとはいえ、許せないことだってあるのだ。
少しずつ大人への階段を登りはじめていた少年にしてみれば、絶対に避けなければいけない事態である。もし、そんな状況を他人に見られようものなら、耐え難い苦痛が襲うのは明白である。ならば、ここは意地でも自力で立ち、歩かなくてはならない。
尤も、コトナは、それすらも計算に入れて、ルージを鍛えているのかも知れないのだが。
(いつまでもコトナさんに頼ってばかりはいられない。早く、自分で自分の身を守れるようにしなきゃ)
毎日のようにルージは、先を行くコトナの背中を見ながら、そう思う。
これから先、運動能力や格闘の技術でコトナに追い付き追い越すのは、どう足掻いてもムリなのは、理解はしている。
けれども、このまま差を埋められないままじゃ余りにも情けないじゃないか、という思いが、そして今はゾイドに乗れない身である事が、彼を一層、焦燥に駆り立てているのだ。
二人がファミロン家に戻ると、ルージの母・ミンが、冷水の入った洗面器と濡れた手拭い、タオルを用意して待っていた。
「それにしても今日もまた、随分と手ひどくやられたようね」
ミンとしては、何気なく言葉をかけているつもりなのだが、言外にコトナへの抗議が含まれている。
確かに、稽古とはいえ、毎日のように息子を(あくまでも角界用語的に)可愛がられている(様に見える)のだから、恨み言の一つでも言いたくはなろう。万一、ルージの身にがあれば――と思うと、たまったものではない。
というわけで、コトナとミンとの関係は、現在のところ、あまりよろしくはない。
なんともいえない微妙な距離感というか、うっすらとした壁が両者の間には存在している。
その辺りは、コトナもある程度は仕方の無いこと、と考えている。もし逆の立場だったら、自分だって似た心境になっているハズだから。
付け加えると祖母・シオとは、恐ろしいまでに関係は良好である。曰く「孫がもう一人増えたようだ」と。それがまた、ミンにとっては顔にこそ出さないが、少々面白くない状況となっている。
そのシオにしても、多少の計算は働いているのは否定できない。
ディガルド武国による侵略の手が及ぶまでのおよそ100年、ミロード村から出た人間は居なかった。また彼女の知る限り、反対に村にやって来て住み着く人間というのも、ほぼ皆無である。故に、少々村人達の血が濃くなってしまった感は否定できない。
ここでファミロン一族に新たなる血を導き入れるのは、一族のこと、村のことを考えれば、メリットは非常に大きい。
勿論、ひ孫の顔が見られるかもしれない、という期待が、かなりの割合を占めているのは、云うまでも無いだろう。
ファミロン家の隣の家屋でパートナーでもあるところの愛鳥・クルックーと暮らしているコトナであるが、基本的に朝と夕の食事は、ファミロン家の人々と共にしている。だからというわけではないが、自然と準備や片づけを手伝うようになっている。
元々何事もソツなくこなすコトナではあるが、本格的な家庭料理を習い始めたのは、つい最近のこと。
今までもそういったものを教わる必要は無かったし、そしてこれからもその必要性を感じることは無かった。
あの日、ハラヤードの街で彼に出会うまでは。
そのせいかどうかは知らないが、彼女の場合、要所要所で雑な部分が散見されるのである。それは料理以外の家事全般に及ぶ。
否、「雑」という表現は、やや的確さに欠けるかも知れない。むしろ、どこかサバイバル術的というか、男性的とでも云うべきであろうか?
ここだけの話をすれば、あの自由の丘の戦いの後、トラフの地で密かにラ・ムゥに手ほどきを受けてはいたのだが、ミロード村に来てからというもの、大苦戦の日々が続いている。
肝心のルージはともかくとして、少なくともファミロン家の人々や他の村人達は、コトナ・エレガンスを「将来のファミロン家の嫁」として見ているのは間違い無い。だから、ミンのコトナに対する鍛錬は、コトナがルージに対して課すそれと同様、さりげなく厳しい。
「ホラ、アクはちゃんと取りなさい!」
「ハイ!」
「野菜は同じ大きさに切らないとダメよ」
「ハイ!」
「魚をおろす時は、きっちり背骨に沿って――」
「ハイッ!」
「気を抜くと、また焦がすわよ」
「ハ、ハイッ!」
普段のミンの穏やかで、決して自分からは前へは出ようとしない性格からは、ちょっと想像できない光景を前にして、心配になったシオが口を挟むこともあるのだが――
(私の時は、さんざん厳しくしていたじゃないですか、お義母様?!)
――と言わんばかりに、切な気な表情で訴えかけるようなミンの表情を見ると、何も云えなくなってしまう。
ミロード村では、海が近いこともあり、魚介類の、それもどちらかというと、素朴であっさりとした味付けの料理が好まれる傾向にあるようだ。
それ故に、奥が深い世界になっているとも云えよう。
とはいえ、何もプロの料理人になるわけではないので、最大の目標は、平均してルージを満足させることが出来るようになること、ということになる。これはこれで、結構、ハードな目標なのかも知れない。
それでも、生きる目的を見つけた――というよりは、自らの手で掴み取ったといっていい18歳の少女にとっては、プレッシャーよりも、むしろ楽しみのほうが、日を追う毎に大きくなっている。
何よりもルージ・ファミロンの側に居ようというのなら、これくらいは軽くクリアておきたいのが、正直なところ。
今居るライバル、そしてこれから登場するであろうライバルも超強力なのだ。ならば、出来る限りのアドヴァンテージを確保しておきたいと思うのが、彼女の偽らざる心境である。
「ルージ、どう?これ今日は私が作ったんだけど……」
「おいしいです」
「本当に?」
「ウソを云ってどうするんですか?母さんのとは味付けとは少し違いますけど、なんか新鮮ですね。」
「実は、うちで栽培していたハーブを入れてみたの」
「へえ、うん、これ、おいしいですよ」
ルージは、基本的に余程のことが無い限り、「マズい」なんてことは云わない性格である。
ただ、本当に美味しいと感じたときは、パっと花が咲いたような笑顔を見せてくれる。コトナは、そんなルージの笑顔が見たいのだ。
この満面の笑みを見れば、ちょっとした鬱な気分など、軽く吹き飛んでしまう。
「コトナさんは、ホント凄いなあ……」
「ルージが毎日毎日、努力しているんだもん、私もこれくらいはしなきゃ、ね。少しずつでもレヴェルアップしていかないと、将来、ルージに捨てられちゃうかも知れないし」
「オレがコトナさんを捨てるなんて、そんなことあるわけないじゃないですか」
コホン……。
そんな二人の世界を割って入るように、小さな咳払いが食卓に響く。
二人の視線の先には、困惑交じりのミンが居た。気のせいかも知れないが、少し頬が赤い。
コトナの戦いは、まだまだ続く。
そして、ルージの戦いもまだこれから、である。
―了―
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