い果実
 

 ミロード村には、既に夜の帳が下りていた。
 村で暮らす人々、その中にあっても、とりわけ青少年層にとっては、夕食の後、就寝までの間は、いわゆる自由時間となる。
 そんな夜のひと時に、今やすっかり村の一員として存在感を発揮しているコトナ・エレガンスはというと、自室でとある書物と格闘を繰り広げていた。
 その書物とは、トラフを発つ前、セイジュウロウからコトナに託された書物――一冊は武芸兵法諸般に関して記したもの。もう一冊はルージ・ファミロンの資質や適性、それに見合った鍛錬の方法や、身に付けるべき技が記されたもの。いわば、セイジュウロウによる「研究ノート」というべきものである。
 が、現時点では、ルージにこの書物の存在は伏せられている。
 何故、伏せるのか?とコトナが訊くと、師・セイジュウロウ曰く――
 
「ルージは、年齢相応以上に頭が良いし、物覚えも良い。だが、それ故に、知識だけが先行してしまう恐れもある。ルージの今後を考えれば、今はまだ身体で覚えこませた方が良いだろう」

 ――と、いうわけでコトナは、ルージを鍛える為のプログラムを作成するのに、毎晩のように細かく書かれた文面と図示と格闘するハメになっている。
 しかも、これをルージに見つからないように行わなければならないので、苦労が絶えない。
 廃墟と化したアイアンロックでの幼少時代、そして各地を放浪していた頃、書物を読む機会には恵まれていた彼女だが、名人・達人にありがちな独特のニュアンスを理解するのには四苦八苦、更に未だ復興途上の村のため八面六臂の働きを繰り広げ、トドメに家事修行にも励む身にとってみれば、正直、投げ出したくなることもある。が、そこをなんとか踏みとどまっているのが、現況である。
 
 こうしてコトナやルージ、勿論セイジュウロウ自らの手によって、幾度となく改訂増補が加えられた「セイジュウロウ・ノート」が、武芸、兵法の指南書として、惑星Ziで幅広く読まれるようになるのは、これからずっと後のことである。

(そういえば、ルージをあそこまで叱り付けたのは、初めてだったわね……)

 実のことを言うと、これから遡ること3時間ほど前、コトナはルージに雷を落としたばかりなのである。
 どうやら、前日の「コトナスペシャルその4」(本人命名)により、ルージは右肩を痛めてしまったらしいのだ。
 ところがルージときたら、それを隠して体術の稽古に挑んだものだから、コトナの逆鱗に触れてしまったのである。
 ルージらしいといえば、ルージらしい話なのだが、コトナは怒った。

 コトナが怒りをぶつけた時、ルージは驚いた表情を浮かべていた。

 彼女自身、少し強く言い過ぎたかも知れない、とは思う。
 「今日の稽古はここまで!これ以上、ケガを増やしたら、あなたの大好きなお勉強ができなくなっちゃうものね」などとという一言は、明らかに余計だった、と今になって少し反省している。

(あれじゃ、ただのイヤミだものね……)

 しかし、自分が置かれている立場や状況をイマイチ理解していないルージが悪い、とも思うフクザツな心境の18歳の乙女である。
 そんな心理状態が影響しているのだろうか、どうも今夜は、はかどらない。

(ま、こういう時は、気分転換に限るわね)

 この辺りの決断から行動に移るまでの素速さは、コトナ・エレガンスがコトナ・エレガンスたるゆえんだろうか?


 
 元々ミロード村においては、入浴と言えば、蒸し風呂が中心であり、共同浴場もある(というより、家風呂のある家の方が村内では珍しい)のだが、コトナの家には、専用の浴室があり、浴槽もしっかりと設置されている。勿論、浴室を一部改造したのは、他ならぬルージだったりするのである。

 それにしてもルージは、絶妙な位置に浴槽を設置してくれたものよ、と、改めてコトナは感心する。
 外部の者からは覗き難い位置でありながら、見晴らしが良く、湯船にゆっくり浸かりながら見る夕焼けは、なかなかのものであると思う。暗くなったらなったで、暗闇の向こうから微かに聞こえる潮騒の音が、なんとも趣深い。
 難を言えば、一人用にしては、少々広すぎるというところだろうか?
 ひょっとしたら、二人で入る為?などとコトナは妄想をしたりするのだが、そんなワケではなく、単にズーリの城にあった浴場を基準に設計し改装した為のことである。

(こういうところは、よく気が付くのにねえ……)



 さて、同じ頃、ルージはというと、一風呂浴びると「書斎」と化して久しい自室にこもり読書に精を出す。
 少しでもジェネレーターやゾイドに関係のありそうな本と見れば、出来得る限り、それこそ片っ端からソラシティから持ち出していた。
 そして、帰郷してからというもの、時間さえあれば、理工学、数学、経済学に政治学から、果ては哲学、文学まで、ありとあらゆる書物を貪るように読んでいた(ちなみに、今、読んでいるのは、「プロレタリアートにとってのゾイド史」というなんともジャンルの区分けの難しい本だったりする)。
 とはいえ、未だ10代前半の少年である、勉強に身が入らず、物思いにふけることだってある。

 最近、あの美しい女性のことを特に意識するようになったような気がする。

 強くて、カッコ良くて、美しくて――
 もし、神が本当に存在するのなら、何故に、あの女性に、ここまでの物を与え給うたのか?

 いけない事だとは思いつつも、心の片隅で、彼女に対し好意を抱くと同時に嫉妬する自分がいることに気付き、時折、自己嫌悪に陥る。

 出来ることなら、あの人の領域にホンの少しでも近づきたい――。
 どうすれば、その領域へ近づけるのか――?

 その領域へと急ぐ余り、今日はコトナを怒らせてしまったのだが。

「そんな状態で私に勝てるとでも思っていたの?!随分とこのコトナ・エレガンスも見くびられたものねえ……」

 その時の、コトナの眼は、ルージから見て何とも冷酷に映った。だが、次の瞬間には、怒っているような困っているような何とも判断のつけられない表情になっていた。

(オレは少し、コトナさんに甘えすぎていたのかも知れない)

 そう思うと、鼓動が高鳴り、心が急に苦しくなる。
 
 ルージの脳内の殆どが、コトナのことで占められようものなら、読書も手につかなくなる。
 最近、そうして煮詰まることが多くなり、彼を悩ませている。
 
(ちょっと外に出て、頭を冷やそう)

 ここのところ、夜の散歩に出ることが増えているルージである。



 昼間は、時として猛烈な暑さとなるミロード村だが、夜も更けてくると、肌に当たる風が心地良くなる。
 しかし、夜の闇に包まれると、復興途上の村の風景が、一段と荒涼とした雰囲気を感じさせ、ルージを少し憂鬱にさせる。
 彼にはやるべきことが、山積していた。
 恐らく、何年か後、また長い旅に出なければならないだろう。
 
 その前に何としてでも、この村を元のみんなが笑って暮らせる場所に戻さなくてはならない――。

 ただ元に戻すだけではない。これから先の世界情勢を考えれば、他の都市とも友好関係を構築することも必要だろうし、それに伴い情報インフラなども整備しなければならないだろう。
 こうなるともう、気分転換どころではなくなってくる。
 そして、気が付くと今宵もまた、村を一周していた。



「あら、どうしたの?いかにも『悩める青年』みたいな顔をして」

 自分の家の近くまで帰ってきたところで、突然の声に驚いて、その声のする方向を見ると、湯上りのコトナが、隣の家屋の縁側に腰を下ろして、こちらを見つめていた。

「コトナさん……」

 かすかに湿った長い髪、軽く上気した肌、そこへ薄手の寝間着をまとった姿が何とも艶かしい。
 そんなコトナに、思春期真っ盛りを迎えつつあるルージの眼がクギ付けになる。

(なんて美しいのだろう……)

「こんな時間に出歩くなんて、あまり感心しないわね」

「いや、その気分転換で……」

「ふうん、夜のお散歩ってわけね。ん、なーに?ボーっとしちゃって」

(あ、しまった!気付かれたか?!)

 ルージは慌ててコトナの肢体から視線をそらし、話題を変えようとする。

「いえ、そ、その、あの……あんまり外にいると湯冷めしてしまいますよ」

「そんな、しどろもどろな状態で云っても説得力皆無なんだけど」

「うっ……」

 痛いところを的確に突かれ、ルージに動揺を誘う。そこへコトナが追い討ちをかける。

「そういえば、最近、私がお風呂に入っていると、妙に人の気配がするのよねえ〜。ひょっとして犯人はルージ?」

「な!?」

「そうねぇ、ルージ君も『お年頃』だもんねー」

「な、な、何を突然――?!」

 実のことを言えばコトナは、ここのところルージが、夜な夜な村を彷徨うにように歩き回っていることは知っていた。これに付け足すならば、確かにコトナの入浴と、ルージが散歩から帰ってくるタイミングが合ってしまうことも度々あるものの、覗きなどは一切していない(コトナの表現を借りれば「少し度胸が足りない」)こともコトナも当然、分かっている。分かっていて、からかっているのだから、タチが悪いといえばタチが悪い。
 ただ、こういう展開になるとルージは、もうどうすることもできない。
 この場合、「受ける青春」などと形容される彼自身の内面にも、少々問題、いや、かなり問題があるのも事実なのだが……。
 これ以上からかうと、ルージが本格的にヘソを曲げてしまいそうなので、コトナは話題を変える。

「煮詰まっているんだ?」

「え、ええ、まあ」

 ルージのことである。まさか、貴女のことで頭がいっぱいになって手につかない状態になっています――なんてことは、本人の前ではいえない。

「あ、あの、昼間は――」

「どうして、いつもながらキミは自分の限界とかを考えないで、突っ走るかなぁ」

 ルージも、何とか自分のペースに引き込もうとしたのだが、すぐさま言葉をさえぎられ、あえなく失敗。

「オ、オレだって、自分で考えて、ちゃんとセーブはしていますよ」

「ウソばっかり」

 と言うや否や、ルージの右の手首を掴む。

「うっ!」

 そして、次の瞬間には、コトナの白魚のような親指が、手首のある一点に食い込む。

「うぎぎぎぎぎ!」

 あまりの痛みにルージは顔をしかめる。

「やっぱり。トラフで痛めた手首まで調子を悪くしてるじゃない!私の言うことなんて、どうでもいいってことなのね?!」

 さらに指が食い込む。

「そ、そんなつもりじゃ……」

 あまりの痛みにルージの眼には、既に涙があふれ始めている。

「そんなつもりじゃないって、どういうつもりなのかしら?」

「いってててててててて!」

「座って」

 それだけ言うと、コトナは半ば強引に自分の隣にルージを座らせる。
 流れるような動きでルージを半ば固定し、逃げる隙を与えない。
 そして、右腕を何箇所か触り、状態を確認。

「……ちょっと腫れているみたいだけど、骨や靭帯には異常は無いようね。この辺りはさすがルージってとこかしら?回復力の速いキミのことだから全治は1週間くらいかな?待ってて、今、湿布薬を持って来てあげるわね」

「い、いえ、あのそこまでしなくても大丈夫ですから」

「大丈夫なわけないでしょ?いい、英雄であるところのルージ・ファミロンには、これからも必要とする人々が出てくるのよ。キミが望もうと望むまいと。だからまだまだ壊れちゃったり、真っ白に燃え尽きてもらったりしたら困るのよ。あ、逃げちゃダメよ」



 コトナに湿布薬を包帯で固定してもらっている間、ルージはとにかく視線をコトナから逸らし、アチコチとウロチョロしていたのだが、やがて空へと固定された。そうでもしないと、どうかしてしまいそうなのだ。
 既に耳まで真っ赤にしたルージの姿に、コトナは微笑を隠し切れない。
 
「綺麗な夜空ね……」

「え、ええ」

「私、この村、好きよ」

 そして、何よりも誰よりもキミのことが――と、言いかけてやめる。さすがのコトナにも「テレ」が入ってしまったようだ。

「ここでキミが、これからどんな風に成長して、どれだけ凄い人になっていくのか、側で見ていたいナ」

 これじゃ、カノジョというよりは、保護者のノリよね、と内心で苦笑しながら、コトナは続ける。

「だから――」

「えっ、あ、わ、っぷ」

「いい男になるのよっ!」

 といいながら、次の瞬間にはルージを抱き寄せていた。

「コ、コトナさん、何を――」

「フフ、こんな風に、キミのこと抱きしめることが出来るのも今のうちだものね」

 と、いいながら、ルージの頭を胸に押し付けるように、思いっきり抱きしめる。

「ちょっ、く、くるちい、です……」

(かわいいルージも、今に私の背を追い越しちゃうんだろうなぁ……。そしたら今度は私が抱きしめられる番ね)

 コトナが見上げると、そこには満天の星が――。

 そして彼女の脳内では、めくるめく彼女の脳内には、密かに描いている将来像というか、それは殆ど妄想の世界といって良いものが展開されていた。
 
 なお、ルージ・ファミロンが選ばれし者の恍惚と若干の不安と共に、胸の狭間で失神したのは、この十数秒後のことである。



―了―



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